いまなぜ茶山「ポエム」なのか?


 なぜ茶山ポエムArt&Musicなのか?

 

                          『まんが福山の歴史・神辺編』 

                                  著者 中山善照

 漢詩が読めなくなった昭和世代

 漢詩は滅びつつある文学だといえるだろう。

 そのうち、四半世紀を経ずして消滅してしまうかもしれない。

 話は今から58年前の昭和33年、神辺町で『茶山詩三百首』という本が発行されたことにさかのぼる。(島谷真三著/発行・茶山会)まずはこの本の発行目的を著者の後書きから要約してお伝えしておこう。

 

 「…昭和の今、茶山の詩を読み得る者少なく、さらに町や村の名家に秘蔵されてある茶山詩に至っては何の詩か全くわからない実情にある。これを今後幾十年放っておいたら名詩もその秘庫は閉ざされて遂に開かざるに至るであろう。かくては貴重な郷土文化も暗闇の中に葬り去られてしまうであろう」

 昭和30年代、漢詩はすでに時代に取り残されていた。地域文化消滅の危機感から島谷真三氏はこの本を著作した。

 

 まんがで茶山詩を描く

 ところで、この本の発行から30数年が過ぎた平成4年、神辺町で『まんが物語・神辺の歴史』が発刊された。発行経費のすべてを負担したのが神辺町で会社を営む三宅真一郎氏であった。

 著作は私(中山善照)が受け持った。 私はまんがで茶山と漢詩を描くこととなったのだが、私の漢文学習は高校で1年間表面をなでた程度のものであり、漢籍素養は皆無に等しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このとき出会ったのが前述の島谷真三著『茶山詩三百首』であった。

 難しい茶山の漢詩が丁寧に、詳細に解説されていた。私はこの書で茶山詩の内容を正確に知ることができた。 この本がなかったら私は茶山詩をまんがで描けなかっただろう。私は、こうして、菅茶山の生涯と作品をまんがで描いた。

 

 漢詩は耳で聞いてわからない

 さて、茶山詩のうち、自然を歌った叙情詩の内容はやさしくロマンにあふれている。しかし、漢詩には難解な漢語があり、意味がわかっただけでは情趣は湧かない。耳で聞いてわからないからである。

 諸氏は、以下の茶山詩の読み下し文を〝耳で聞いて感興を催すだろうか? 下記、ひらかな部分を声を出して読んでみていただきたい。

 

   落日残光在   らくじつ ざんこうあり

   新秧嫩翠重   しんおう どんすい かさなる

   遙雷何処雨   ようらい いずれのところの あめぞ

   雲没両三峰   くもは ぼっす りょうさんぽう

 

 2行目の「新秧嫩翠(しんおうどんすい)」の意味をわかる人は多くない。 「秧(おう)」は「苗」のことで「嫩(どん)」は「若い、柔らかい」を意味する。

 「翠(すい)」は緑である。このような漢語を日常で使うことはまずないから耳で聞いてわからない。

 

 私は子供にもわかるように、以下のようなリズムで意訳した。

      夕日沈んだ 空まだ赤い

      田んぼの若苗 萌え重なって

      遠くで雷 どこかで雨か

      山のてっぺん 雲の中

 

 漢詩から「茶山ポエム絵画展」へ

 これなら子供が耳で聞いてわかる。 情景が浮かぶ。

 イラストレータに絵を描かせた。このように、茶山詩の内容に忠実で、子供でも耳で聞いてわかり、かつ大人の鑑賞にもたえられる現代語意訳を「茶山ポエム」とした。

 これが、神辺の児童たちが茶山ポエムを読んで絵を描く「茶山ポエム絵画展」に発展し、20余年後の今も続いている。 茶山詩の絵を描いた当時の神辺の児童たちはもうすでに20代から30代になった。得難い成果ではなかろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 茶山をルーツとする茶山文化の創成へ

 このたび、「神辺の歴史」を改訂復刊することとなった。 平成28年のいまも漢詩が鑑賞できる人は希有であり、漢詩そのままでは茶山詩は未来に伝わらない。

 そこで、この『神辺の歴史』改訂版で、「茶山ポエム・アート&ミュージック・コンクール」をすることになった。茶山ポエムへの作曲、挿絵を公募する。 これは茶山をルーツとする「茶山文化の創成」を目的としている。

 漢詩が理解できなくても、漢詩を源流とする茶山文化が伝承されていけば、茶山がもっていた文学者としての感性は受け継がれていく。 

 

 漢詩をアウフヘーベンする

 ヘーゲルの弁証法は言う。

 「古いものが 否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される」

 

 茶山ポエムは、漢詩を一旦否定することから生まれた。そして、茶山ポエム、そして茶山アート&ミュージックへと形は変わってゆく。

 しかし、古いものがもっている内容、すなわち茶山のもっていた感性が新しく高い段階として保持されるものと確信している。

 地域の歴史が作り出した古い文化は保存するものではない。「伝えて」いくものである。保存だけやっていては、やがて賞味期限がきれ、忘れ去られてしまう。地域文化は「伝えて」いかねばならない。

 その「伝える方法」が、茶山ポエムであり、茶山アートであり、茶山ミュージックであると考えている。

 

平成4年発行の『まんが神辺の歴史』