くずはら

葛原しげるについて

 ●葛原しげる
 福山市神辺町生まれの教育者・童謡作詞家
 1886〜1961

 全国の人に小さな町「福山市神辺町」を伝えようとすると、多くの言葉を費やさねばならないだろう。
 しかし、「『♪ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む…』を作詞した葛原しげるという童謡作詞家が生まれた町です」といえば、初対面でも、なんらかの感興をおぼえ「ああ」と声をあげてうなづく人がいるかもしれない。
 生涯で作詞した童謡は4千編、校歌は4百編ともいわれ、童謡のうち「夕日」は大正、昭和、平成と今に歌いつがれ全国に知られている。

 教育者・ニコピン先生くずはらしげる

 葛原しげるは、童謡作詞家というより教育者といった方がよいのかもしれない。子供たちに大人の感傷やゆがんだ感性を植えつけてはならない、という信念をもっていた人で、備後地方では教育者としてもよく知られている。

 昭和21年4月、芦品郡新市町に創設された「至誠女学校」の校長に請われて就任した。そして14年間校長をつとめ、この学校の歴史に忘れえぬ足跡をのこした。生徒に教えるモットーは「いつもニコニコピンピン」で、至誠女学校といえば「ニコピン先生」がいることで知られる有名な学校となった。

 葛原しげるに出会った人はだれもがその春のような人柄に感化されている。とはいっても、猛烈な早口でてきぱき行動する人だったから、春といってもスローモーではなく、ニコニコしながらも「ピンピン」して燃えている人だった。だから「ニコピン先生」と呼ばれていた。

 以下、追悼録・平川良定「校長先生として」の一部をご紹介しよう。
 「先生は祝祭日や行事の時に必ず国旗を掲げさせられて、『日の丸が上に揚がるは視野を広め、旗の四角は強き意思を、赤丸は至誠を、白地は純潔を、また風にはためくはチリを払い、風なきに垂れるは反省を、人生教訓を示して誠に妙』と」

 生徒たちに「運動会は女ばあでもようやるのう、と男を反省させなさい」「爪からきれいに」「二人歩くなら足を合わせて」「です。ます。なさいを忘れずに」などと、教えは高く清く徴細に丁寧で心をこめられていた。

 葛原しげるは、童謡を作詞しているときでも「子供を健全に育てる」という「教育哲学」をもっていた人だったから、芸術詩ではなく、子供たちのために「純真、明朗、健全、軽快」から外れない童謡詩をつくった。


 葛原しげるの芸術性
 では、葛原しげるに芸術性がなかったかというとそうではない。あまり知られていないが、「鬼の物尺」や「天狗松(まんが本文p112)」などは童謡ではなく、芸術性の高い歌曲風の詩である。このような詩は多くあるので、これからこのホームペページで追加して伝えていきたいと思う。

※葛原しげるについて詳しくは「まんが福山の歴史神辺編」をお読みください。