かんちゃざん   れんじゅく

菅茶山と廉塾について
 

菅茶山 神辺生まれの儒学者
 漢詩人(1748〜1827)

 中国の故事来歴に精通した語学の天才

 

 菅茶山は青年時代に京都で朱子学を学んだが、後年漢詩人として全国に名をはせた。 茶山の漢詩は「和臭がない」と評価されてきた。「和臭がない」とは、漢語という外国語を正しく、完璧に駆使していただけではなく、中国の故事来歴に中国人以上に精通していたということを意味している。
 

 頼山陽が塾頭をつとめた時期がある


 茶山は1781年ごろ、「黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)」という塾をひらいた。年とともに全国から塾生が集まるようになり、近くは四国、九州、遠くは奥羽地方からの塾生もいた。門下生には、頼山陽、北条霞亭、関藤藤陰、江木鰐水、門田朴斎などがいる。このなか、頼山陽は1年あまり塾頭をつとめていた。

 「黄葉夕陽村舎」はのち、福山藩の郷校となり「廉塾(れんじゅく)」と呼ばれた。
 「廉塾」の「廉」は「きまり正しい、いさぎよい」の意味で、「清廉潔白」のように使われる言葉である。
 

 生涯田園詩人として神辺の地に生き、多くのすぐれた漢詩をのこしている。詩集「黄葉夕陽村舎詩」がよく知られ、昭和30年代、神辺の茶山研究の先人・島谷真三、重政黄山、北川勇氏らによって緻密に解説された「茶山詩三百首・五百首」として出版されている。

 茶山の叙情詩は現代人の感性に通じる


 しかしながら平成のいま、漢詩は時代に取り残されている。茶山詩も例外ではなく、漢詩のままで鑑賞できる人はほとんどいなく、埋もれている。このままでは、地域の文化遺産は失われてしまう。


 茶山詩のなかには難しい漢語や、中国の故事来歴をちりばめた難解な詩もあるが、蝶や花、自然を歌った叙情詩も数多くあり、これらの詩は現代人の感性にも通じる。
 「茶山ポエム」はこれらの詩を選定して意訳されたもので子供にも理解できる詩となっている。

廉塾 右手の建物は当時の塾生寮。 
    茶山旧宅・講堂・蔵・庭などがほとん    当時のまま残っている。

菅茶山については、『まんが福山の歴史神辺編』をお読みください。まんがで詳しくその生涯と作品を描いています。